日野市多摩平8丁目のブログ

主に日野市多摩平およびその周辺の歴史や話題を語ります

元は戦争疎開で作られた富士電機東京工場

豊田駅周辺の発展の歴史を順にたどると、豊田駅→安田善衛の別荘→火葬場ですが、次にできたのが、昭和18(1943)年の富士電機東京(日野)工場であります。

富士電機は、大正11(1921)年に川崎で創業しました。富士電機の社名は、まず会社の母体となった「古河電工」の「ふ」と「シーメンス」の「シ」を合わせて「ふし」としたうえで、日本を代表する「富士山」と掛け合わせて決めたという経緯があるそうです。そして、創業日が大正12(1923)年9月1日、まさに関東大震災当日という不遇ぶりで、いきなり川崎工場が大きなダメージを受ける波乱の始まりでした。しかし、その後は満州事変などの戦争特需のおかげで事業を順調に伸ばしました。太平洋戦争期において、富士電機は軍需会社に指定されますが、戦況の悪化にともない昭和17(1943)年以降は、長野県松本市、埼玉県鴻巣市吹上、そして日野市豊田に、それぞれ工場を疎開させました。

 

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川崎工場は、昭和20(1945)年以降数回空爆を受けましたが、日野工場は空襲を受ける前に戦争が終結したため、辛うじて戦禍を免れました。
戦後は、GHQの許可を得て民生品を製造しますが、昭和25(1950)年以降は工業計器専門工場となっていきました。

 

現在、工場は増築中とのことです。

https://www.kentsu.co.jp/webnews/view.asp?cd=200903500082&pub=1

 

また、電波が遮蔽しやすい工場内の環境で、5Gネットワークを使えるようにする「ローカル5G」の実験中だそうです。

www.fujielectric.co.jp



なお、富士電機の歴史は今話題の渋沢栄一の歴史でもあるので、改めて注目してもよいかもしれません。