日野市多摩平8丁目のブログ

主に日野市多摩平およびその周辺の歴史や話題を語ります

日野の図書館(1)上司有山・部下前川

日野市の図書館事業は、前川恒雄の尽力により発展したといわれています。前川が昨年亡くなった際、生前の業績が報道されました。

 

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この「ひまわり号」の事業は、当時日野市教育委員会の議長を務めていた有山崧(たかし)が、前川を日野市に招き、始めたことでした。

 

有山と前川は、そもそも日本図書館協会での上司と部下にあたる関係でした。

 

昭和25年に、戦後日本の図書館の発展を目的とした「図書館法」が制定されましたが、日本の公共図書館のサービスは思う通りには発展してはいきませんでした。

 

日本図書館協会は、その現状を打開するために、文部省の補助を得て、委員会を設けて調査研究を行う事にしました。この調査を指示したのは、当時事務局長を務めていたる有山でした。そして、有山は、事務局の前川をその作業のまとめ役に任命したのでした。

 

有山・前川のコンビは、ここから始まったのです。

 

そして、日本図書館協会は「中小都市における公共図書館の運営」というレポート(略して「中小レポート」)をとりまとめました。この報告書は、図書館の活動の基軸は中小の図書館が担うものであるとして、日本の図書館界に大きな転換を迫る内容でした。

 

この中小レポートでは、「公共の図書館の本質的な機能は、住民の資料要求を増大させることが目的である。また、自発的に来館しない大衆の手元まで本を接近させることが大切である」と指摘しています。つまり、図書館は利用者がやってくるのを待つのではなく、積極的に出かけていって利用を発掘しなければならない、そしてそのためには地域全体の対するサービスもが必要であると強調しているのです。

 

もっとも、中小レポートの発表後、すぐに図書館運営が改善されたというわけではなく、しばらくの期間停滞がありました。この停滞を打ち破ったのが、日野市の取り組みでありました。

 

有山は、父が元日野町長で、新選組関係者との関わりがあったほどの日野の名家で生まれ育った人でした。日本図書館協会を離れた有山は、次に日野市教育委員会に活躍の舞台と移しました。

 

有山は、中小レポートの具体的実践を日野市内で進めるために、今度は前川を日野市に呼んで、様々な施策を任せるのです。このコンビが、「ひまわり号」を生み出し、日野市内の図書館の貸出冊数は爆発的に増加しました。

 

mainichi.jp

 

こうして、かつてまとめた中小レポート理論の正しさが日野市で証明され、日野市の図書館活動が全国的に名を轟かせることとなったのです。振り返ると、行政官が自らの理想に向かい、華々しい業績を収めることのできた良き時代であったのだと思います。