日野市多摩平8丁目のブログ

主に日野市多摩平およびその周辺の歴史や話題を語ります

日野の図書館(2) 進撃の巨人たる日野市立図書館

有山・前川のコンビによって、日野市立図書館は「ひまわり号」のみならず、日本の図書館関係者が驚くほどのサービスを展開していきます。

 

有山が日野市長になる前後の主な出来事について、時系列に並べてみます。

 

  • 昭和40年6月20日 図書館設置条例を公布
  • 昭和40年7月 前川が図書館長に就任

日野市立図書館例規集等|日野市立図書館 (hino.lg.jp)

昭和40年の条例及び運営規則の主な骨子は、以下のとおりです。

  1. 日野市立図書館は、本、分館によって構成される

  2.  サービス水準は、図書館法の施行規則を下回らない

  3.  図書館長は経験豊かな専門職であるべき

  4.  個人への貸出に徹する

  5. レファレンスサービスを進める(利用者の求めに応じて、図書館員が必要な情報を提供する)

  6. 利用対象は、幼児からとする

  7. 登録票の工夫は簡便化する

  8. 貸出方式はブラウン式(貸出券・ブックカード・返却期限票の組み合わせによって貸出記録を作る方式)

  9. 貸出は1人4冊まで、児童は2冊まで。貸出期間は2週間。

https://www.lib.city.hino.lg.jp/library/gyoumu-houkoku/s40-s41Rental1.pdf

同様の趣旨が、日野市立図書館・貸出の方針として、まとめられました。

 

  • 昭和40年8月27日 有山が市長に当選

当時、自民党の不祥事が相次ぎ、衆議院は「黒い霧解散」騒動が起きました。この波紋は、東京都議会まで及び、当時の日野市長だった古谷太郎は、都議会議員に転身することになったのです。そこで、空席となった日野市長の選挙が行われ、有山が当選するのです。

 

  • 昭和40年9月21日 図書館サービス開始、ひまわり号運用開始

図書館充実に対する新市長の思いは、予算に如実に表れました。日野市の図書費は、昭和41年度に880万円 、昭和42年度には1050万円を計上しました。この額は、当時のほとんどの県立図書館をしのいでいたレベルでした。

 

  • 昭和41年6月電車による多摩平児童図書館、高幡図書館開館

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多摩平児童図書館で、やなせたかし氏の記念講演

 

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高幡図書館完成時

 

  • 昭和42年7月福祉センター図書館開館

fukushi1969.jpg (965×628) (hino.lg.jp)

図書館内部の様子

 

これらの取り組みの結果、昭和41年度の時点で貸出冊数が20万冊を超して、全国の公共図書館のトップに躍り出ました。

 

日野市立図書館の試みは、全国の図書館界の人々に多くの教訓をもたらしました。

  • 貸出に徹すれば、市民の利用はどんどん伸びる
  • 市民を信用すれば、市民も図書館を信用する
  • 図書館は、建物ではなく人であり、資料である

日野市立図書館は、進撃の巨人となって時代の先頭に立ち、戦い続けていくのでした。