日野市多摩平8丁目のブログ

主に日野市多摩平およびその周辺の歴史や話題を語ります

人生フルーツと多摩平団地 建築家・津端修一

4年前の2016年、映画「人生フルーツ」が公開されました。多摩平団地を建築した津端修一夫妻を描いた内容です。

 

life-is-fruity.com

 

映画のあらすじは、かつて日本住宅公団のエースだった津端修一は、阿佐ヶ谷住宅多摩平団地などの都市計画に携わってきました。1960年代、風の通り道となる雑木林を残し、自然との共生を目指したニュータウンを計画しました。しかし、経済優先の時代はそれを許さず、結局完成したのは、理想とはほど遠い無機質な大規模団地でした。修一は、それまでの仕事から距離を置き、自ら手がけた高蔵寺ニュータウンに土地を買い、家を建て、雑木林を育てはじめましたーー。それから50年、ふたりはコツコツ、ゆっくりと時をためてきました。そして、90歳になった修一に新たな仕事の依頼がやってくる、という内容です。

 

多摩平団地は、津端の理想から程遠いものだったのでしょうか。調べてみました。

 

【理想】

津端は、地域に武蔵野の大地と森を取り戻し、住み手に土地の記憶として伝えることを考えました。

また、南に見える野猿峠のある街並みを、入居者に見えるようにすることを考えました。

 

【現実】

津端が多摩平のプロジェクトに参加した時は、すでに区割りができた状態で、昔の面影はなくなっていました。

また、野猿峠を見渡すこともできませんでした。

 

結果としては、これら2つは、思い通りに成功しませんでした。多摩平教会や泉塚近くなど、ところどころにケヤキイチョウ、針葉樹の森が残る程度でした。

 

【理想】

多摩平団地では、低層テラスハウスを導入しました。住戸の間隔をなるべくとって、木を植えるのが目的でした。
多摩平4丁目あたりの森、水道事務所、日野2中あたりの住空間をつなぐための「グリーンベルト」を作ろうとしました。

 

【現実】

テラスハウスの設計は、実現しました。

しかし、幹線道路沿いは、計画戸数を確保する必要が生じ、テラスハウスではなく中層住宅を並べました。

「グリーンベルト」と明らかに分かるものではないものの、5小、水道事務所、2中のあたりに道が存在しています。道幅の広い並木道のように、はっきりした特徴を取れたらよかったのでしょう。

津端氏いわく「アイデアだけで語って、世の中を渡っていくのはダメである。僕らがある程度の評価を得ているのも、計画する、自分で街をつくる、実験居住してみる、いろんなものを試してみる。そういう形でやっているからだと思う」

多摩平には実際に住みませんでしたが、名古屋の高蔵寺での生活の実践は、住むことの意義や理想を語りかけます。人生フルーツは、そんな映画でした。