鉄生堂について記憶を掘り起こしてみた
前回、くまざわ書店について取り上げましたが、日野市内とりわけ豊田駅周辺においては、先行して出店した鉄生堂が地盤固めをしていたため、新規進出ができなかったと申し上げました。
鉄生堂は、豊田駅前と日野二中のそばに2つの店舗を構えて、多摩平地域をカバーしていました。地元住民には、もっとも馴染みのあった本屋でした。しかし、出版不況やバブル経済崩壊の悪しき流れには打ち勝てず、平成初期にともに閉店となってしまいました。
今となっては、当時の写真や記録が手元にはなく、もっぱら記憶だけしかありませんが、思い出をいくつか語ってみたいと思います。
■豊田駅前店
現在のマツモトキヨシの場所に、昭和40年代から平成初期まで約30年近くありました。ファミーユ京王の啓文堂ができる前は、一番大きな書店でした。振り返ると、なぜか立ち読みは豊田駅前店、実際に買うのは多摩平店か三成堂という行動パターンが多かったと思います。
■多摩平店
日野二中前の交差点の角に、昭和40年代から平成初期まで約30年近くありました。絣の着物を着たおばあさんが店番をしていました。マンガ売場が、レジの視界に入るところなので、長時間立ち読みすることはできませんでした。
■買った本の思い出
子供の頃で金を持っていないため、買う本にはおのずと限りがありました。
買った本は、
・学研のひみつシリーズ
・おばけのQ太郎
・ドカベン
・みゆき
・鉄道ファン
・伝記シリーズ
・各種学習参考書
・新潮、岩波、角川各種文庫
・地図
などでした。振り返ると、実際は立ち読みがほとんどであり、店にとっては大してありがたくない客でありました。
■立ち読みの効能について
本を読みたいということもさることながら、本屋にいると緊張感が走り、トイレに行きたくなる性分でした。そのため、自転車で本屋に行って、トイレに行きたくなったら急いで自宅に戻るなどということがしょっちゅうでした。トイレに行きたいがために、本屋に行っていたということもありました。
■衝撃的な思い出
まだインターネットなどない時代なので、書籍が最大の情報源でした。そして、雑誌や新刊書から、思いもよらぬ情報が舞い込んでくることがありました。
このうち、多摩平店で驚いたことが2回ありました。
1回目は、学生時代の先輩女子があられもない姿の写真集を出しました。卒業後に芸能人になり、有名になる前に別の芸名で出ていたのですが、顔を見て瞬時にその人と分かりました。
2回目は、学生時代の同級生が某米国金融機関から20億円の高額ヘッドハンティングをされました。もっとも、この話は文春ネタなので真偽は分かりませんが、今となっては紛れもない金持ちの一人です。