帝人中央研究所爆破事件
帝人中央研究所爆破事件は、昭和49年(1974)年11月25日に東京都日野市で発生した、東アジア反日武装戦線による爆弾テロ事件です。
連続企業爆破事件の一つで、「狼」「大地の牙」「さそり」の3つの実行グループによって行われました。全9件の中、帝人事件は「狼」が引き起こした3番目の爆破事件です。
■引き起こした9つの事件一覧
- 昭和49(1974)年8月30日 三菱重工爆破事件
「狼」班。8名が死亡、385人が重軽傷。 - 10月14日 三井物産爆破事件
「大地の牙」班。17人が重軽傷。 - 11月25日 帝人中央研究所爆破事件
「狼」班。 - 12月10日 大成建設爆破事件
「大地の牙」班。9人が重軽傷。 - 12月23日 鹿島建設爆破事件
「さそり」班。 - 昭和50(1975)年2月28日 間組爆破事件
三班合同。5人が負傷。 - 4月19日 オリエンタルメタル社・韓産研爆破事件
「大地の牙」班。 - 4月28日 間組京成江戸川作業所爆破事件
「さそり」班。1人が重傷。 - 5月4日 間組京成江戸川橋鉄橋工事現場爆破事件
「さそり」班。
5月19日に主要メンバーが逮捕されました。
このうち、帝人爆破事件を起こした「狼」グループは、大道寺將司、片岡利明、大道寺あや子、佐々木規夫の4名です。
多数の死傷者を出した三菱重工爆破事件の実行犯であることから、大道寺將司と片岡利明には死刑判決が下りました。
大道寺は、執行されることなく病死しました。また、片岡は未執行で収監中です。
一方、大道寺あや子と佐々木規夫は、後に日本赤軍が起こした2件のテロ脅迫事件(クアラルンプール事件・ダッカ日航機ハイジャック事件)の際に、日本赤軍側の要求を呑んだ日本政府による超法規的措置として出獄し、その後国際指名手配されています。
大道寺將司と片岡利明の死刑が執行されないのは、大道寺あや子と佐々木規夫の裁判が終了していないためと言われています。
■中央研究所が狙われた理由と事件の経緯
ところで、なぜ旭が丘の帝人中央研究所が狙われたのでしょうか。
そもそも、帝人株式会社は、韓国に石油コンビナートを建設するなど海外進出を積極的に進めていたことで、これを阻止して打撃を与えるために、攻撃対象になりました。
多数を殺傷するテロ目的であれば、人の多い本社を狙うはずです。最初の三菱重工事件で、警察が大規模捜査を行っていたため、帝人本社を狙いにいくと捕まってしまうおそれを感じ、人気のない旭が丘の研究所をターゲットに変更したためと思われます。
現場の下見などの調査と全員の協議を経て、
- 11月20日 爆弾の仕掛け役を大道寺と同片岡が、見張りを大道寺あや子と佐々木が担当することを決定
- 11月24日 午後7時25分ころ、大道寺あや子と佐々木が研究所の塀の外で見張りを開始、
約2リットルの消火器の容器に、塩素酸ナトリウム約60パーセント・砂糖約30パーセント・硫黄約10パーセントの割合で混合した爆薬約1.5キログラムを詰め、これにトラベルウオツチ・乾電池・手製雷管等からなる起爆装置を接続させた。
翌25日午前3時に爆発するように設定した時限式手製爆弾一個を、中和槽操作盤室内に装置して立ち去った - 11月25日 午前3時10分に爆発
被害が少なかったため、事件の記憶は薄れました。三菱重工事件と同一犯人が起こしたことも、あまり知られてはいないかもしれません。