日野市多摩平8丁目のブログ

主に日野市多摩平およびその周辺の歴史や話題を語ります

日野市ごみ処理施設の道路建設問題について

東京都日野市のごみ処理施設の専用道路の建設が都市計画法などに違反しているという住民訴訟が、5年前に提起された。今年9月9日に、最高裁判所は住民側の訴えを認めて、日野市長に建設費用の全額2億5000万円を賠償する判決が確定した。 www3.nhk.or.jp 大坪…

日野2・2・6号線

ファナックそばの「平山通り」沿いに、新たにコンビニエンスストアができるそうである。この「平山通り」は、町田から八王子を結ぶ全長約16キロの都道で、現在は都道155号線と呼ばれている。中央線をまたぐ「豊田陸橋」が、昭和50年前後に完成する前は、豊田…

UR集合住宅歴史館に行ってきました

年末に、北八王子にあるUR集合住宅歴史館を訪れました。 この展示館では、昭和30年代に相次いで建てられた公団住宅の蓮根団地・晴海高層アパート・多摩平団地のほか、建築史的に価値の高い同潤会アパートの住戸等を移築復元し、集合住宅技術の変遷をたどる展…

AIとツイッター

昨日は、町の本屋が消えていく話題について考えました。社会は常に変化しているので、現在の仕事や活動も、やがて将来は姿形を変えていくでしょう。 今後、仕事や活動が変わっていく大きな要素はAIの発達です。2010年ごろから、AIにはディープラーニング機能…

啓文堂書店・豊田店の閉店

久々のブログ更新となります。 先日、ついに啓文堂書店・豊田店の閉店が発表されました。店の歴史は、ほぼファミーユ京王の歴史でもあるので、昭和55年(1980年)10月から、約40年にわたり営業を続けたことになります。 鉄生堂、三成堂などが消えた中、豊田…

日野市立南平小学校の「君が代伴奏許否事件」

東京パラリンピックが後半戦に入ってきました。日本勢の結果は思った以上に好調で、メダル授与のときには、国家「君が代」が流れる場面をよく目にします。先日終わった東京オリンピックでも、MISIAが歌った「君が代」が話題になりました。 一方で、国家「君…

多摩平の古本屋を思い出しました

日野市では図書館のおかげで、私たちは本を買わずして読むことができ、今から思うと大変ありがたいものでした。それでも、著名な本、手元に置いておきたい本は買いたくなるものです。高名な作家や学者が、あふれんばかりの蔵書のある書斎で研究や執筆活動を…

多摩平の古本屋を思い出しました

日野市では図書館のおかげで、私たちは本を買わずして読むことができ、今から思うと大変ありがたいものでした。それでも、著名な本、手元に置いておきたい本は買いたくなるものです。高名な作家や学者が、あふれんばかりの蔵書のある書斎で研究や執筆活動を…

再掲・豊田駅前のお墓の話

「自分が住んでいるところ、行き来しているところが昔は何だったのか」ということには、常に関心があります。ちなみに、このブログを書いているのも、歴史的な事件の犯人らの最期となった場所です。近くの慰霊碑には、今も献花や焼香がささげられています。 …

駅から離れた巧妙な位置にあった戸田書店

オリンピック、高校野球、コロナ禍と仕事が多忙となるイベントが相次いだため、ブログを書く時間がありませんでした。もっとも、日野市の話題や思い出に特化しているので、そうそう書くネタもありません(笑) 本屋の思い出を語ってきましたので、今回は旭が…

常盤平団地で昔を懐かしむ

千葉県松戸市の常盤平団地は、多摩平団地と同時期に建てられました。団地の雰囲気も似ていることから、両者は比較の対象になっていました。建物が老朽化したことから、多摩平は建て替え、常盤平は存続を選択しました。現存する常盤平団地によって、日野市多…

わが理想の本屋「かしわや」

「かしわや」書店は多摩平名店街の中にありました。もともとは、布団屋でしたが、途中で業態を変えました。小さな本屋でしたので、鉄生堂や三成堂ほどの売り上げはなかったと思いますが、利用者の側からすると実に都合のいい本屋でした。これまでに行ったこ…

後出しでも健闘していた三成堂書店

豊田駅前の書店の思い出を振り返っていますが、2回目は三成堂書店を取り上げます。三成堂は、戦後八王子で開業した老舗の本屋です。神田発祥の「三省堂書店」と間違える人も少なからずいたことと思います。 かつては、八王子や国分寺に書店を展開していまし…

鉄生堂について記憶を掘り起こしてみた

前回、くまざわ書店について取り上げましたが、日野市内とりわけ豊田駅周辺においては、先行して出店した鉄生堂が地盤固めをしていたため、新規進出ができなかったと申し上げました。 鉄生堂は、豊田駅前と日野二中のそばに2つの店舗を構えて、多摩平地域を…

なぜ、日野市にはくまざわ書店がないのか

くまざわ書店は、言わずと知れた八王子を本拠地とする全国規模の書店です。創立は、明治29年です。グループ全体で「くまざわ書店」「いけだ書店」「ACADEMIA(アカデミア)」「球陽堂書房」「田園書房」などの店舗ブランドを持っています。2018年11月時点で…

帝人中央研究所爆破事件

帝人中央研究所爆破事件は、昭和49年(1974)年11月25日に東京都日野市で発生した、東アジア反日武装戦線による爆弾テロ事件です。 三菱重工爆破事件 連続企業爆破事件の一つで、「狼」「大地の牙」「さそり」の3つの実行グループによって行われました。全9件…

人生フルーツと多摩平団地 建築家・津端修一

4年前の2016年、映画「人生フルーツ」が公開されました。多摩平団地を建築した津端修一夫妻を描いた内容です。 life-is-fruity.com 映画のあらすじは、かつて日本住宅公団のエースだった津端修一は、阿佐ヶ谷住宅や多摩平団地などの都市計画に携わってきまし…

日野の図書館(4) 公共図書館の本尊・日野市立中央図書館の完成

昭和40年から分館を次々と建設する中、本館の中央図書館完成には、約8年の歳月を要しました。先進的な日野市の図書館サービスを象徴する本尊として、建設当時より全国的な注目を集めていました。 前川館長は、「中央図書館設計の基本方針」として、次の5つを…

日野の図書館(3)分館の原点・日野市立多摩平児童図書館

日野市立図書館の分館の1つ、多摩平児童図書館は、昭和41(1966)年に始まりました。 日野市の図書館は、本館と分館で構成することになっています。時系列上、先に分館ができました。多摩平児童図書館は、分館第1号となります。 本館 中央図書館(昭和48(1973…

日野の図書館(2) 進撃の巨人たる日野市立図書館

有山・前川のコンビによって、日野市立図書館は「ひまわり号」のみならず、日本の図書館関係者が驚くほどのサービスを展開していきます。 有山が日野市長になる前後の主な出来事について、時系列に並べてみます。 昭和40年6月20日 図書館設置条例を公布 昭和…

日野の図書館(1)上司有山・部下前川

日野市の図書館事業は、前川恒雄の尽力により発展したといわれています。前川が昨年亡くなった際、生前の業績が報道されました。 www.tokyo-np.co.jp この「ひまわり号」の事業は、当時日野市教育委員会の議長を務めていた有山崧(たかし)が、前川を日野市…

八王子競馬(6)八王子牧場と東京オリンピック

昭和27年1月1日、八王子牧場がスタートしました。主な施設は1600メートル走路、 100メートル練習馬場、厩舎7棟などで、職員は25名でした。 そして、昭和29年11月に、牧場内に騎手教養所、昭和37年9月には騎手学校が開設されました。 これらの施設は、昭和39…

八王子競馬(5) 新競馬場の建設と予想屋

第一回東京競馬が開催される前の昭和22(1947)年秋、東京都は新競馬場建設の基本構想を取りまとめていました。東京都議会でも同時に議論を重ねていました。その結果、大井、月島、羽田、玉川、駒沢、三軒茶屋の6か所が候補地となり、この中から最終的に大井…

八王子競馬(4) 衰退の理由

昭和23(1948)年11月4日、新競馬法の公布のもと、東京都営の主催による八王子競馬が初めて行われました。 しかし、当初の勢いは続かず、八王子競馬は入場人員、売上高ともに減少していきました。その衰退の理由は、一にも二にも「利便性の悪さ」でした。 都心…

八王子競馬(3)ヤミ競馬の発展そして終焉へ

戦後のヤミ競馬時代に、八王子競馬場は日本初のフォーカス馬券を発売しました。競馬は6枠制で行われていました。この枠順の決定は、何ともいかがわしいものでした。まず、主催者側が強いと思われる馬を初めに5頭選びます。それらを1枠から5枠に割り当てるの…

八王子競馬(2)高倉町時代

横山上町の競馬場の移転先候補には、横山村船田、元八王子村横川、小宮村北大谷、小宮村西中野字甲の原の4か所が挙がりました。この中から、元の競馬場に近い甲の原にいったん移転先が決まりました。ところが、地元の農地の小作人から反対運動が起こり、補償…

八王子競馬(1)中野上町時代

八王子競馬は、競馬場の跡に住む人たちには、あまりなじみがない存在です。 昭和の初期において、八王子には以下の2か所に競馬場がありました。 ■八王子市中野上町(八王子二中周辺) ■八王子市高倉町・日野市旭が丘(首都大、八王子東高、日野四中周辺) …

50年前の日野市都市計画マスタープランを読んでみた

昭和42(1967)年に、有山崧(たかし)日野市長が出した日野市の都市計画マスタープランがあったので、今更ながら読んでみました。原稿用紙20枚近くの分量ですが、なかなかの文章ですので、時間があればご一読おすすめします。この記事の末尾に書き起こしてあ…

中央線特別快速と豊田電車区について

中央線の特別快速は、昭和42(1967)年7月3日から運行が始まりました。このとき、国電の運転区間が、高尾まで伸びました。 中央線には、オレンジ色の最新の101系電車が投入され、首都圏の国電の中でも最重点の扱いで整備が進んでいきました。10両編成による運…

多摩格差とは何なのだろうか

先日、昔の朝日新聞の記事で「多摩格差」という言葉を目にしました。美濃部都知事時代に初めて出てきた言葉ですが、現在でも小池都知事が都知事選挙の争点に「多摩格差」を取り上げています。多摩は、都心部から電車で1時間の距離があり、同じ東京都にいるに…