日野市多摩平8丁目のブログ

主に日野市多摩平およびその周辺の歴史や話題を語ります

中央線特別快速と豊田電車区について

中央線の特別快速は、昭和42(1967)年7月3日から運行が始まりました。このとき、国電の運転区間が、高尾まで伸びました。

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中央線には、オレンジ色の最新の101系電車が投入され、首都圏の国電の中でも最重点の扱いで整備が進んでいきました。10両編成による運転も、中央線が最初でした。

 

特別快速の運行前、昼間の上り電車は立川どまりで、乗り換えを強いられていましたが、東京まで直通1本で行けるようになりました。また、所要時間も日野市内から新宿駅まで約30分、東京駅まで約50分で到着できるようになりました。従来から20分の短縮となりました。都心との往復する上で、画期的なことでした。

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当初は、高尾発 9:32~14:31の間、20分間隔での運行でした

有料の記事ですが、無料の範囲で開業当時の写真を一部見ることもできます。

trafficnews.jp

 

この特別快速運行の前、昭和38(1963)年11月に豊田駅電留線が完成しました。また、昭和41(1966)年11月には、当時は東洋一と言われた豊田電車区が完成しました。これらの整備によって、豊田始発の電車の運行が可能になり、豊田駅を利用する人たちは、始発電車に座って乗ることが可能になりました。豊田の住民にも、特別快速や豊田始発は喜びをもって、受け止められました。

 

昭和40年当初の国電の運賃は、近隣の私鉄よりも割安だったこともあり、住民運動の活発な多摩平団地からも、特段の反発はありませんでした。もっとも、当時の国鉄は、すでに赤字経営であったため、40年代後半からは値上げが急加速しました。この値上げにともない、多摩平団地内からも反発運動が高まっていきました。

 

その後、京王線との価格競争が続きます。日野からバスで京王八王子に出てから新宿に行っても、まだ国鉄より安かった時代もありました。国鉄が価格で勝つことは一度もなく、京王線は、現在でも新宿から八王子までの区間で114円、高尾までの区間は190円安い状況です。安い理由は、京王線は中止となった複々線工事の積み立て費用を利用者に還元しているということらしいですが、コロナ禍で鉄道各社とも経営が悪化する中、今後運賃の引き上げが行われるおそれもあるので、この状況は変わってしまうかもしれません。