日野市多摩平8丁目のブログ

主に日野市多摩平およびその周辺の歴史や話題を語ります

再掲・豊田駅前のお墓の話

「自分が住んでいるところ、行き来しているところが昔は何だったのか」ということには、常に関心があります。ちなみに、このブログを書いているのも、歴史的な事件の犯人らの最期となった場所です。近くの慰霊碑には、今も献花や焼香がささげられています。

 

前に、本ブログで豊田周辺のお墓の話をしましたが、「ここが昔は墓場だったのか!」と驚くことも多いので、改めて書き留めてみたいと思います。

 

豊田駅北口周辺は、一帯が墓場だったのです>

豊田駅周辺の町村名は、以下のように変わりました。

明治22年から34年にかけて、桑田村で暮らす無縁の人々の墓が、ファミーユ京王からマクドナルド豊田店の坂下にかけて作られました。そして、墓と共にお地蔵様が立てられました。ハケ状の土地に立てられたことから、このお地蔵さまは「地蔵ぱけ」と呼ばれていました。

 

豊田駅開業後、しばらく北口の駅前は墓場のままでした。太平洋戦争後、多摩平の土地開発を進めるにあたり、さすがに駅前に墓場があってはまずいと、移転をしたのでした。

 

その移転先が、

  • 現在の日野市営火葬場の隣地
  • かつての日野市民病院の隣地(現在のコメダ珈琲店付近)

の2か所でした。このうち、市民病院の隣地については、「病院の隣が墓場では縁起が悪い」と、住民から反対運動が起きました。その結果、市民病院墓地は実現せず、東豊田の善生寺付近の共同墓地に移動することになったということです。

もっとも、住宅公団によって、市民病院隣地への換地処分が行われていることから、墓地が実際にあったかどうかは、確認がとれません。もし、当時のことをお分かりになる方がいましたら、お知らせください。