日野市多摩平8丁目のブログ

主に日野市多摩平およびその周辺の歴史や話題を語ります

日野2・2・6号線

ファナックそばの「平山通り」沿いに、新たにコンビニエンスストアができるそうである。この「平山通り」は、町田から八王子を結ぶ全長約16キロの都道で、現在は都道155号線と呼ばれている。中央線をまたぐ「豊田陸橋」が、昭和50年前後に完成する前は、豊田駅から石川入口を結ぶ道であり、行政上の呼び名は「日野2・2・6号線」であった。明治期の地図には、この道路とほぼ同じであろうと思われる道が既に存在しており、古道である。そして、この道の横には、八王子競馬場と富士電機日野工場が作られていったのである。

 

昭和30年以前は、多摩平は相変わらず開発前であり、「日野2・2・6号線」の北側にはほとんど道らしき道はなかった。富士電機日野工場の敷地の西側に細い道があり、かつて多摩平3丁目に住まいを構えていた作家の伊藤整は、豊田駅からずいぶんと迂回する道のりをたどって、駅と自宅を往復していたという。

 

かつて西長沼と称されていた旭が丘地区の開発は、昭和40年台中ごろから進んでいった。その当時は、今回建設されるコンビニエンスストアファナックの工場あたりは、一帯が畑や空き地であった。

 

童話作家の巽聖歌は、旭が丘6丁目あたりの「日野2・2・6号線」沿いに住んでいた。駅からずいぶん離れており、人気の少ない当時、往復の道のりは不気味でなかったかと案じてしまう。

 

日野と八王子の境にある「あかはけ橋」の下には、八高線が通っている。八王子から北八王子の方向に伸びる上り坂を、赤いディーゼルカーが走っていく様子を時折見かけた。30分に1本間隔の運転だったので、見かけたときは運の良さを感じたものであった。