日野市多摩平8丁目のブログ

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八王子競馬(6)八王子牧場と東京オリンピック

昭和27年1月1日、八王子牧場がスタートしました。主な施設は1600メートル走路、 100メートル練習馬場、厩舎7棟などで、職員は25名でした。

 

そして、昭和29年11月に、牧場内に騎手教養所、昭和37年9月には騎手学校が開設されました。

 

これらの施設は、昭和39年11月に栃木県塩原町に移転していきました。

 

また、八王子牧場も、東京都新都市建設公社の宅地造成地となることが決まっていたため、千葉県印旛郡の小林牧場へ移転することになりました。八王子牧場は、このようにして使命を終えることとなったのでした。

 

八王子牧場がこの時点まで存続できたのは、東京オリンピックにおける馬の飼育の必要があったためでした。近代五種競技の開催には、馬資源の確保とその状況が必要でした。移転前の八王子牧場に、その大役が任されたのです。しかし、馬資源の確保といっても容易なことではありませんでした。現役を引退した高齢な馬ばかりを集めるわけにもいかないのです。当時、八王子牧場に勤務していた獣医師によれば、職員が全国を回って馬を集めたのだとのことです。競走馬としての能力に見切りをつけた若い馬といっても、南関東4競馬場ではおのずと集める数には限界がありました。その不足分を、全国の地方競馬と牧場が請け負うこととなったのです。ここから集まった馬は、約250頭でした。

 

次に、調教の問題がおきました。同じサラブレッドとはいえ、競走馬と馬術競技に出場する馬とでは、求められる資質がまるで違うのです。昨日まで、速く走ることだけを目的に調教されてきた馬を、人間の命令を理解し従順に従う馬に訓練し直す必要があったのです。

 

集められた馬のうち、約半数の牡馬は、すでに去勢されて騸馬となりました。先程の獣医師によれば、短期間のうちに、その時ほどたくさんの馬の去勢手術をした記憶は後にも先にもないと述べていました。事は急を要していたのです。競技の開催までに、競走馬を馬術競技に出場する馬として訓練し直さなくてはならないのです。その調教はかなりハードなもので、調教の過程で脱落する馬が続出したそうです。結局、馬術競技用の馬として残ったのは、わずか10分の1の25頭ほどでした。